an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

証し

心に刻まれたイタリア語の讃美歌(2)

もう一曲、イタリア語の讃美歌「Così qual sono」を共有したい。記事『聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(5) - an east window』において言及している、忘れられない讃美歌である。 以下、イタリア語の歌詞と和訳である。 1. Così qual sono mise…

心に刻まれたイタリア語の讃美歌(1)

ある姉妹と讃美歌について意見交換していて、自分の信仰者としての歩みの中で心に刻まれている讃美歌の一曲を思い出したので、読者の方々と共有したいと思う。 オリジナルは英語で「O Perfect Love」、日本語だと「賛美歌428番 全き愛」で、通常、結婚式…

神のあかし:「これ以上、なんの証拠がいるか。」

ルカ22:66-71 66 夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、 67 「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」。イエスは言われた、「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。 68…

ブログをはじめて4年

5月20日で、このブログをはじめて丸4年が経過した。記事の総数は1021、PVの総数は235000。 大きな試練の時期にはじめたブログであったが、時には「憑りつかれた」ように、時には悪戦苦闘しながら、それでも気負わず、御子の恵みのうちにある自…

ある姉妹の報告

先日、ある東欧出身の姉妹から電話があり、婚約を解消した報告を受けた。この姉妹には色々な状況で相談を受けていたし、彼女の父親は自国で牧師をしていて、娘を訪ねてきたとき、言葉は通じないながらも共に祈る時をもち、霊の交わりを強く感じた経験をした…

デスモンド・ドス氏の証し

映画『デズモンド・ドス―良心的兵役拒否者』* コメントにおいて紹介されたドキュメンタリーにとても心を打たれたので、記事でも紹介したい。「戦争とキリスト者」というテーマにおいて、このデズモンド・ドス氏が選んだあり方は、まさに「世の光」「地の塩」…

人は見かけによらぬもの

普段の買い物に利用しているスーパーで、レジの台のところに商品を載せ終わり、ふと顔を上げると、自分の前にいる男性に目がいった。というか、メタリックな光の反射がまず視界に入った、と表現する方が正確かもしれない。服だけでなく、顔の部位にも私の工…

『イエス様は僕の心の中にいる』

毎日、各地にいる信仰者の兄弟姉妹からWhatsApp(ヨーロッパで普及している、ラインのようなSMSアプリ)に様々なメッセージが届く。聖句だけのものやイラストや写真に聖句が入っているもの、そして証しのショート・メッセージのようなものまで色々なタイプが…

誰が隣人になったか。

ルカ10:25ー37 25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 27 彼は答えて言った、「『心…

イタリア中部地震

(13世紀の鍾塔が崩壊せず立っている。その時計の針は、最初の揺れが起きた3時37分を指したまま止まっている。) 今回の地震では、特にAmatrice(アマトリーチェ 動詞Amareから派生する「愛する人」「恋人」「アマチュア」という意味)という町が被害が…

真の悔い改めとサタンの欺き

ある地域教会に一人の男(仮にAとしよう)がいた。彼はその教会の牧会方針を絶えず非難し、結局、口汚く罵りながらその教会から離れて行った。近辺の教会を転々とし、その度に教会指導者に反対し、問題を引き起こしていた。 Aがもともと所属していた母教会の…

あなたも、彼を警戒しなさい。

Ⅱテモテ4:14-15 14 銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。 15 あなたも、彼を警戒しなさい。彼は、わたしたちの言うことに強く反対したのだから。 この聖句は、使徒パウロがローマの…

ブログをはじめて3年

このブログをはじめて5月20日で丸3年が経過した。 記事数合計は842、PV総数144670。 日本を中心に、世界各地に在住している同胞の方々にメッセージが届いているようだから、このブログの当初からの目的には適っているとは思っているが、主キリ…

ユダヤ教改宗者の歴史についての考察

先日の『「アシュケナジ系ユダヤ人」の遺伝子調査に関する記事について』と『 カライ派ユダヤ人について』の記事に関連して、何点か興味深い点を追記しようと思う。 主イエス・キリストの地上宣教の時期に、ユダヤ人にとっては異邦人であるローマ軍の百卒長…

カライ派ユダヤ人について

先日のアシュケナジ系ユダヤ人のルーツに関する記事について引き続き調べていたところ、非常に興味深いユダヤ人グループについて知ることができたので、共有してみたいと思う。そのグループとは、カライ派(Karaite Judaism, Karaism, קְרָאִים)のことであ…

聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(5)

天の父から与えられる「良い贈り物」の約束 ルカ11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 参照: ヤコブ1…

聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(4)

聖霊のバプテスマに関して、あまり重視されていないが非常に重要な点がある。聖霊のバプテスマと、キリストの体である教会との関係である。実際、聖霊のバプテスマは個人的な経験以上のものであり、教会のいのちを革新する「新陳代謝」的働きをする。ゆえに…

聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(3)

私が聖霊のバプテスマを受けることを必死で祈り求めていた時期は、使徒パウロの二つの告白「わたしは自分のしていることが、わからない。」「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。」(ローマ7:15,24)によって、表現できる。私は熱心に求め…

聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(2)

もし私が聖霊のバプテスマに関して聖書にどこに書かれているか熟知していたとしても、実際の生活の中で聖霊のバプテスマが何をもたらすかを見ていなかったら、私の探求心はそれほど覚醒されていなかったかもしれない。しかし、現実に私は多くの兄弟姉妹が聖…

聖霊のバプテスマに関する個人的証しと省察(1)

キリストのある一人の姉妹から、聖霊のバプテスマについて意見を聞かれたので、シリーズで記事にしてみたい。ただ実際に書き始めようとすると、クリアしなければいけない個人的な葛藤が多くあるのに改めて気づかされた。それは私が聖霊のバプテスマの真理を…

誰にもできないことをしてくれた人

福原希己江 -- できること 思い出を忘れたいなら さあ、あたしが 消しゴムで消してあげるわ 安心しておやすみなさい。 凍えるような寒い朝も 揺れる大地も 体に刻まれた記憶が あなたを強くするのでしょう。 やがては土に帰るとわかっていても この気持ちは…

王の王によって書かれた手紙

申命記17:14-20 14 あなたの神、主が賜わる地に行き、それを獲てそこに住むようになる時、もしあなたが『わたしも周囲のすべての国びとのように、わたしの上に王を立てよう』と言うならば、 15 必ずあなたの神、主が選ばれる者を、あなたの上に立て…

その人はずっと私を待っていた

無責任な言動で、 弱きものを死に追いやり、 「ごめんなさい」も言えない卑劣さは、 自暴自虐に逃げ込んだ。 新地の光も、 偉人の知恵も、 肉の悦びも、 自傷の痛みも、 汚物にまみれた地下室の 扉を開けることはできなかった。 その人は入ってきた。 扉は固…

あらゆる境界線を越えて働きかける公平な神

Ⅰコリント1:26-31 26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな…

ブログをはじめて2年

気が付くと、このブログをはじめてから今日で2年経った。2年間で593本の投稿記事、アクセス総数は8万2千。 全ての読者の方々、特に今まで様々なかたちで励まして下さった方々に心から感謝致します。 これからもどうぞよろしくお願い致します。

「ベールの教え」について(1)

Ⅰコリント11:1-16 1 わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。 2 あなたがたが、何かにつけわたしを覚えていて、あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う。 3 しかし、あ…

病の中に顕れたキリストのいのち

月初めからの無理がたたって体調を崩してしまい、先週木曜日の夕方の祈祷会の後からほぼ一週間寝込んでしまった。体中にボローニャの赤レンガを巻きつけたような状態で、寝返り打つのも辛い状態だったが、昨日から回復しはじめ、やっとPCによる仕事ができる…

持ち主の所へ帰ったスペイン語聖書

忌々しいスキャンダルによって躓き、礼拝に参加しなくなった人達と家庭礼拝を週に二回程捧げる恵みに与っている。御言葉と祈り、そして伴奏なしの讃美歌、という本質的な要素だけに絞り、ひたすら神の臨在に留まり、キリストの十字架を見上げ感謝し、深い傷…

時に適った問いかけ

昨日の記事でミケランジェロについて触れたが、そのことが私にとってある重要な出来事の記憶を思い出させた。 ボローニャに移り住んでしばらく、目に映るものの全てが自分に語りかけているように感じ、町中を歩き、モノクロームの写真を撮りまくっていた時期…

やるせなさ

ボローニャのマッジョーレ広場。昼間には人々が行き交い、出会い、おしゃべりしたりする空間だが、さすがに冬の雨の日の夕食時となると、人の姿はまばらになり、濡れた石畳に映り込む光は、哀愁を帯びて見える。 少々感傷的になっていると、以前この広場で出…