an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

現代福音宣教の問題点

『羊を養うべきか、それともヤギを楽しませるべきか。』

スポルジョンが牧会していたロンドン・メトロポリタン・タベルナクルの牧師を1908年から1911年まで務めたブラウン牧師の説教である。本来ならば原文である英語から翻訳すべきだったが、原文を見つけることができなかったので、イタリア語からの重訳…

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(5)追記

ルーテル教会 - Wikipediaより抜粋引用 ルター派世界連盟とカトリック教会は1999年10月31日に「義認の教理に関する共同宣言(Joint Declaration on the Doctrine of Justification)」に調印し、カトリック教会も信仰によって福音を理解することを公式に宣言し…

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(4)まとめ

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1) - an east window 世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(2) - an east window 世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(3) - an east window 新約聖書が啓示している信仰義認の教…

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(3)

1999年10月31日、ローマ・カトリック教会とルーテル世界連盟との間で、『義認の教理に関する共同宣言』がドイツのアウグスブルグで調印された。この10月31日という日付は、1517年に宗教改革者マルティン・ルターが、ラテン語で書かれた『九…

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(2)

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1) - an east windowを読まれた方の中には、私が「教会の一致」という崇高な目標と努力に対して根拠もなく批判し、反対して宗派間の分裂を扇動しているかのような印象をもった方もいるかもしれないが、私の…

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1)

先日11月6日に、イタリア・ローマのバチカン市国において、教皇フランシスコが世界福音同盟(WEA - World Evangelical Alliance Est 1846)の代表団を迎え入れ、会合の場がもたれた。この世界福音同盟には、日本福音同盟(ホーム of 日本福音同盟 website…

吟味の必要

使徒17:10-12 10 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。 11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果し…

赦しの前提とプロセス

ルカ17:1-4 1 イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。 2 これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、まし…

「福音っぽい」メッセージ

@nifty:デイリーポータルZ:中国の間違ってる日本語コレクション ボローニャにもチャイナ・タウンと呼べるような地区があり、時々食材を買いに行ったりするのだが、上に引用したような「日本製もどき」のパッケージを何度も見たことがある。読んで思わず笑…

御言葉の位置

教会史において、キリストの福音を宣べ伝えるための説教壇が、会衆の真正面の位置から移動され、説教壇の代わりに祭壇が置かれるようになったのは、礼拝における核心的要素の霊的・心理的変化と深く関わっている。 歴史は繰り返されるものである。キリストの…

荒野の声

ヨハネ1:19-28 19 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリ…

信徒の交わりの自浄責任

Ⅰコリント5:1-13 1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。 2 それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むし…

あなたに足りないことが一つある

NHKが報じられない、うつ病治療の実態1 by チャンネル桜 - YouTube 1から5までシリーズである。 饅頭の「あんこ」にあたる人間の心、存在の「背骨」にあたる価値観、「不安」「不快」「不満」の原因、というコンセプトに触れながらも、人間の最も根源的な…

蛇の入れ知恵

イマージング・チャーチ・ムーブメント : 村上 密 Blog 聖書の教義を脇に置き、主観的な体験主義を強調する動きは、イタリアにおいても強烈な勢いで拡がっている。「教義は分離し、愛は一つにする」「誰も教義の詳細など求めていないし、間違った教えを語っ…

信じる者の心を扇動し、自由を奪う教え(1)

ガラテヤ5:2-12 2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。 4 律法…

「十字架につけられたキリスト無き福音」の惑わし

ガラテヤ3:1-4 1 ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。 2 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あな…

牧師の本質

田中信生 権威主義 : 村上 密 Blog これは実に忌々しい事態である。 記事の中で説明が必要であると思った点がある。「万民祭司」のコンセプトは、プロテスタントの教会だからというより、新約聖書自身が主イエス・キリストを信じる者すべてを「キリストの祭…

泣く者と共に泣きなさい

ローマ12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 黙示3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに…

「良心のへそ」で起こること

古くはローマ帝国の時代から「Umbilicus Italiae(イタリアのへそ)」と呼ばれていた小さな町がある。リエーティという町で、「へそ」という表現からわかる通り、イタリアの国土のちょうど真ん中に位置する。日本の静岡県伊東市と姉妹都市提携を結んでいると…

古い城壁

自宅の近所に十三、十四世紀頃の城壁の一部が百メートルぐらい残っている。イタリアでは特別珍しいものではなく、実際近くを通り過ぎる人が立ち止まって観察していることはほとんどみかけない。しかしよく考えてみると、都市国家だったボローニャにとっては…

作為の霊

マタイ7:21-23 21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によ…

無邪気ではいられない(2)

使徒1:6-8 6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの…

イエス・キリストの眼差し

「使徒行伝に書かれた信仰生活をモデルにしている」というモットーを掲げて、自らの信仰や教会の正統性を主張する個人や教団などがある。私個人、納得できない違和感を感じながらも、よく検証することもなかった。しかし、そのような主張をしていた教会が、…

ステパノの説教についての考察

イタリアの都市は非常に古い歴史を持つところが多く、特にローマなどは2千年以上前の遺跡が、圧倒的な存在感をもって町の中に現存している。また、公共事業の工事などで地下を掘ると、ローマ時代の史跡や物品が発掘されることも決して珍しいことではない。…

ナザレの崖の上の福音

ルカ4:16-22 16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、 18 「主の御霊がわたしに…

教えてはならない教え

使徒15:5 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。 相変わらず「パリサイ派から信仰にはいってきた人たち」の末裔が、ヘブライ語の新約聖書とやらを片…

香りと剣

Ⅱコリント2:14-17 14 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。 15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとって…

羊を滅ぼし散らす羊飼い

サイト「QUICOMO」(http://www.quicomo.it/02/16/pecore-morte-nella-scarpata-a-capiago-le-foto.html)から引用。 少々古いニュースだが、二月十六日付の記事によると、北イタリア・ロンバルディア州コモ市郊外のカピアーゴで、百四匹の羊と一頭の…

厳しい要求

Ⅰテモテ3:1-7 1 「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。 2 さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、 3 酒を…

什一献金について(3)教会運営の金銭感覚

ブログ『命と性の日記~日々是命、日々是性』 「今どき男子を考える(4)~イメージ系男子」より引用 従来の「もてたがり見栄張り系男子」は、一定の経済的裏づけと金銭管理能力がありました。正社員で終身雇用で安定収入なので、多少無理をしても経済的な…