an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

使徒行伝

何の権威、誰の名によって

使徒4:5-12 5 明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。 6 大祭司アンナスをはじめ、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった。 7 そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、「あなたがた…

イザヤ書の預言からイエス・キリストを宣べ伝えたピリポ

使徒8:26-40 26 しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。 27 そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官…

「聖霊の働き」と「人間による吟味・検証」

使徒17:10-12 10 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。 11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果し…

シリアのアンテオケ教会(3)

使徒14:24-28 24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、 25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、 26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であ…

シリアのアンテオケ教会(2)

使徒13:1-3 1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。 2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバと…

シリアのアンテオケ教会(1)

使徒11:19-30 19 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 20 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、…

福音宣教の「舵取り」

使徒9:17-30 17 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわ…

「主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけ」

使徒8:9-19 9 ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。 10 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ば…

主なる神の不思議な導き

(赤でアンダーラインを引いたところがピリピとローマ) 一般的に使徒行伝16章に記述されているピリピ(Philippi)の教会の誕生のエピソードに基づいて、「ルデヤはキリストの福音を受け入れた最初のヨーロッパ人で、しかも女性だった」とか「ピリピ教会が…

「〇〇牧師先生の✕✕教会」に関する考察

非常に興味深い、そして重要な問いかけをあるイタリア人クリスチャンが投げかけている。 新約聖書には、十二使徒だけではなく多くの「使徒」や、「預言者」(アガボ、ユダ、シラなど)、「伝道者」(ピリポ)そして「教師」(使徒行伝13:1参照)などの個…

真の復興

フォロロマーノのサトゥルヌスの神殿遺跡にて。 「盛者必衰の理をあらわす」。 数々の遺跡の間を散策しながら、やがて再建されるだろうエルサレムの神殿について考えてしまった。 ステパノは命をかけた最後の宣教において、神殿祭儀に寄り頼んでいたユダヤ人…

『ルカによる福音書』と『使徒行伝』の文脈

ルカ1:1-4 1 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、 2 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、 3 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、…

カテゴリー名変更

カテゴリー『ベレヤに学べ』を『聖書による検証』に変更しました。韓国で生まれた『ベレヤ神学』『ベレヤ運動』との関連を誤解される可能性があるからです。私はこれらの運動とは全く関係がありませんし、その神学に関わったことは全くありません。 ちなみに…

イエス・キリストの眼差し

「使徒行伝に書かれた信仰生活をモデルにしている」というモットーを掲げて、自らの信仰や教会の正統性を主張する個人や教団などがある。私個人、納得できない違和感を感じながらも、よく検証することもなかった。しかし、そのような主張をしていた教会が、…

主要停車駅

まとまった時間が持てるときは、聖書の中の何か一書を選び、一気に読むことにしている。普段の読み方に慣れてしまうと部分に執着しがちで、全体像を見失う危険を過去に経験したからだ。細部にこだわらず、可能な時には声に出して読む。「各駅停車」ではなく…