(1)の続き
主イエスは、後になると十二弟子が、新約聖書を書くことになったり、教会の土台となる教えを担うようになる(エペソ2:20)ことを想定して、この御言葉を語りました。
敢えてこの箇所の「すべての真理」を定義づけするなら、教会の土台となる教えとか、使徒による言い伝えということになるでしょう(2テモテ1:13~14)。
つまり、この箇所は、初代の使徒には当てはまりますが、それ以外のクリスチャンには適用できません。
この記事のタイトルは、そういう意味です。
それが証拠に、初代の使徒たちは教理的に一致していました(使徒15章、エルサレム教会会議)。
初代教会で教理的な異論を唱えたのは、それ以外の人たちです。
(一部引用)
『使徒行伝』全体、さらに使徒パウロの各書簡を読むと、実際には「教理の一致」が理念的に存在していたわけではなく、多くの議論と誘惑を通して「勝ち取られ、死守されていたもの」であることが伝わってくる。
特に「イエス・キリストにある恵みによる救い」という、福音の核とも言える教理に関しては、使徒たちを含め教会全体を揺り動かすような激しいプロセスを通して「勝ち取られ、死守された真理」であった。
順を追ってみてみよう。その「舞台」は、シリアのアンテオケにあった教会であった。
エルサレムで起きた大迫害から逃れた信仰者たちは北上し、シリアのアンテオケ(現代のトルコのAntakya)においてユダヤ人だけでなくギリシャ人にも福音を伝えたことにより、多くの人々が救われ、様々な人種が共存する国際色豊かな教会が形成された。
使徒11:19-26(新改訳)
19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。
22 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。
23 彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。
24 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
25 バルナバはサウロを捜しにタルソヘ行き、
26 彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
アンテオケ教会の霊的成長は著しく、聖霊から直接二人の宣教師、バルナバとパウロが任命され、教会からアジアへ送り出すほどになっていた。
使徒13:1-3
1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
時期的には、西暦45年頃である。当然、まだ新約聖書などなく、現代の教会で使われているような伝道用トラクトなどあるはずもなかった。ただバルナバとパウロは、聖霊の導きと力強い働きだけを信じて宣教に出たのである。
そして聖霊による多くの実をもって、彼らを派遣したアンテオケ教会に戻り、神の働きを報告した。その報告を聞いた教会が、大きな喜びに満たされたことは容易に想像できる。
使徒14:26-28
26 そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。
27 彼らは到着早々、教会の人々を呼び集めて、神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。
28 そして、ふたりはしばらくの間、弟子たちと一緒に過ごした。
まさにそのような霊的に大いに祝福されたアンテオケ教会において、福音の真理を実際に生きることがどういうことかが試されたのである。
使徒15:1-4
1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。
2 そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。
3 彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。
4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。
パウロやバルナバがいたアンテオケ教会に、ユダヤ地方から「ある人々」がきて、ギリシャ人信仰者たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と教え始めたのである。
当然、福音宣教によって異邦人が信仰による救いを体験していたことを実際に見ていたパウロとバルナバは、そのような教えに反駁し、エルサレム教会の使徒たちや長老たちと協議するために、都へ上った。
その時の状況を、使徒パウロは『ガラテヤびとへの手紙』の中で記述している。
ガラテヤ2:1-5
1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。
2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。
3 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。
4 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。
5 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。
使徒パウロは「ユダヤ地方からアンテオケ教会にきた、異邦人信仰者に割礼を強いる教えを説いていたある人々」のことを、「忍び込んできたにせ兄弟ら」と厳しい表現を使っている。そしてエルサレムにおいても「パリサイ派から信仰に入ってきた人たち」(つまり宗教的経緯において、使徒パウロと同じような信仰者たちであった)が、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」という教え(「割礼を受けなければ救われない」とは言っていない点に注目。実質的に「異邦人も救われているけれど、割礼を受けなければその救いは完全ではない」という教えである)を説いていた。
そしてその教えは、パリサイ派から信仰に入った人々の間だけでなく、使徒たちや長老たちの間でも少なからぬ影響があったことは、彼らの間で行われた審議(いわゆる「エルサレム会議」)において、「激しい議論」があったことからも理解できる。
使徒15:5-11
5 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。
6 そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。
7 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。
8 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、
9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。
10 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。
11 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。
使徒ペテロが異邦人とユダヤ人を分けて議論をしているところを見ると(「聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって」「われわれの先祖もわれわれ自身も」)、この審議にはユダヤ人信仰者である「使徒たちと長老たち」によって行われたことがわかる。そのような責任者たちの会議の中で使徒ペテロが「諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか」と非常に強い調子で問い詰めていること自体、如何にその教えがエルサレム教会の間で影響を与えていたかが読み取れる。
そしてこの使徒ペテロの厳しい言葉のうちに、実は目に見えない「偽善の種」が隠されていた。というのは、このような教えがエルサレムの教会において、ある日突然生れていたとは考えられず、ある程度の時間の中で少しずつ浸透していたはずだからである。しかしその危険な教えは、パウロとバルナバが指摘するまで厳格に取り扱われることはなかったのである。
パウロとバルナバだけが聖霊に満たされ、偽りの教えを識別する賜物を持っていたのだろうか。エルサレム教会には、真理の聖霊に満たされた12使徒たちがいたではないか。パウロとバルナバにその教えの危険性を示した聖霊は、12使徒たちのうちにも宿っていたはずである。
私は根拠もなく、猜疑心からこのような事を書いているわけではない。なぜなら実際に、その「目に見えない偽善の種」は、アンテオケの教会で芽を出し、死に至る実を結びかけたからである。
ガラテヤ2:11-14
11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
ケパ(ペテロ)は、最後の晩餐で御子イエスから真理の聖霊について聞いていた12使徒たちの一人ではなかったか。ペンテコステの日に聖霊のバプテスマを受け、真理の福音を群衆に語った使徒ではなかったか。そのような使徒であっても、「福音の真理に従ってまっすぐに歩いていない」偽善の罠に陥っていたのである。
さらに真理の御霊に満たされ、「教理の一致」のためにケパやバルナバの偽善を厳しく糾弾した使徒パウロは、一致の実践において常に正しく、過ちを犯さなかっただろうか。エルサレム会議によって「教理の一致の使者」として任命されたはずのパウロとバルナバの間で、多くの日を隔てず起きたある事件が、実践の現実の厳しさを証明している。
使徒15:22
そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
使徒15:36-41
36 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。
37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。
38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
41 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
だから「真理の聖霊を受けていた初代の使徒たちは、教理的に一致していました」という主張は美しいが、現実の一面しか表していない短絡的なものであり、その「教理の一致」は多くの誘惑と、過ち、霊的戦い、議論、修正などを通して、同じ真理の聖霊の力と知恵と導きによって「勝ち取られ、死守されてきたもの」である。
真理の御霊を受けることは素晴らしい恵みである。しかしその聖霊によって始めるだけではなく、同じ聖霊によって歩み続けることに、多くの失敗と過ちと葛藤と挑戦と痛み、そして信頼と勝利があることを、私達と同じ真理の御霊を受けた初代教会の使徒たちの記録が証明しているのである。
ガラテヤ3:1-3
1 ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。
2 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
3 あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
ガラテヤ5:16
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
(3)へ続く