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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「主の日」に関する考察(2)

ゼカリヤ14:1-9

1 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。

2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。

3 主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。

7 これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。

8 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。

9 主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。 

  この預言は、御子イエス・キリストがこの地上に再臨する時に関する詳細に関するもので、それを「主の日」の到来として表している。

「主の日」に関する考察(1)において、新約聖書にある「主の日」に関する各種の啓示を統合的に解釈すると、「主の日」が特定の一日だけを指しているのではなく、黙示録のある七つの封印の巻物の開封から、御子イエスの地上再臨、そしてキリストの千年王国の実現を経て、最後の審判、そして新しい天と新しい地の創造に至るまでの時期を示していることを書いたが、ここでは「キリストの地上再臨と千年王国の実現」という、中心核となる出来事を記述している。

 7節の「これはただ一つの日であって」という箇所を根拠に「主の日はある特定の一日、つまり24時間を示している」とする主張もある。しかしこの「これはただ一つの日であって」という表現の文脈を読むと、必ずしもその表現の目的は「主の日はある特定の24時間である」ことを主張するためでなく、「歴史上、類を見ない、二度と起こることのない唯一の出来事」「人間が知ることができない、主なる神だけが知っている時」を示しているように思える。

 それは聖書の中に啓示されている、その他の「主の日に関する預言」と比較してみても理解できる。

エレミヤ30:7-9

7 悲しいかな、その日は大いなる日であって、それに比べるべき日はない。それはヤコブの悩みの時である。しかし彼はそれから救い出される。

8 万軍の主は仰せられる、その日わたしは彼らの首からそのくびきを砕き離し、彼らの束縛を解く。異邦の人はもはや、彼らを使役することをしない。

9 彼らはその神、主と、わたしが彼らのために立てるその王ダビデに仕える。

マタイ24:36;42

36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

使徒1:6-7

6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。

7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 

 ただ、預言書などに記されている「大いなる日」「主の大いなる恐るべき日」「主の大いなる日」「主の大いなる恐ろしい日」「全能なる神の大いなる日」という表現が、「キリストの地上再臨と千年王国の実現」という主の日の目的の最も重要な出来事が起こる時を示していることは想像できる。

ヨエル2:31-32

31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。 

ぜパニヤ1:7-18

7 神である主の前に静まれ。主の日は近い。主が一頭のほふる獣を備え、主に招かれた者を聖別されたからだ。

8 主が獣をほふる日に、わたしは首長たちや王子たち、外国の服をまとったすべての者を罰する。

9 その日、わたしは、神殿の敷居によじのぼるすべての者、自分の主人の家を暴虐と欺きで満たす者どもを罰する。

10 その日には、・・主の御告げ。・・魚の門から叫び声が、第二区から嘆き声が、丘からは大いなる破滅の響きが起こる。

11 泣きわめけ。マクテシュ区に住む者どもよ。商人はみな滅びうせ、銀を量る者もみな断ち滅ぼされるからだ。

12 その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、そのぶどう酒のかすの上によどんでいて、「主は良いことも、悪いこともしない。」と心の中で言っている者どもを罰する。

13 彼らの財産は略奪され、彼らの家は荒れ果てる。彼らは家を建てても、それに住めず、ぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲めない。

14 主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。聞け。主の日を。勇士も激しく叫ぶ。

15 その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、

16 角笛とときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。

17 わたしは人を苦しめ、人々は盲人のように歩く。彼らは主に罪を犯したからだ。彼らの血はちりのように振りまかれ、彼らのはらわたは糞のようにまき散らされる。

18 彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。

マラキ4:1-5

1 見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。・・万軍の主は仰せられる。・・

2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。

3 あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行なう日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。・・万軍の主は仰せられる。・・

4 あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。それは、ホレブで、イスラエル全体のために、わたしが彼に命じたおきてと定めである。

5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。

黙示録16:14-15

14 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。

15 (見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)  

  この「大いなる」と和訳されている原語【μέγας megas】は、ヨハネによる福音書において仮庵の祭(七日間)の最終日を「大事な」日と呼んでいる時に使われている原語と同じである。

ヨハネ7:37

祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 

  確かに「主の地上再臨と千年王国の実現」は、「大いなる日」そして「大事な日」である。まさに『主の祈り』の冒頭の祈り(天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。)が、地上において完全に成就するのであるから。

ダニエル書の預言:大患難期に救われるイスラエルの民

ダニエル9:1-27

1 メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、

2 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。

3 それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。

4 すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った、「ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、

5 われわれは罪を犯し、悪をおこない、よこしまなふるまいをなし、そむいて、あなたの戒めと、おきてを離れました。

6 われわれはまた、あなたのしもべなる預言者たちが、あなたの名をもって、われわれの王たち、君たち、先祖たち、および国のすべての民に告げた言葉に聞き従いませんでした。

7 主よ、正義はあなたのものですが、恥はわれわれに加えられて、今日のような有様です。すなわちユダの人々エルサレムの住民および全イスラエルの者は、近き者も、遠き者もみな、あなたが追いやられたすべての国々で恥をこうむりました。これは彼らがあなたにそむいて犯した罪によるのです。

8 主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。

9 あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。

10 またわれわれの神、主のみ声に聞き従わず、主がそのしもべ預言者たちによって、われわれの前に賜わった律法を行わなかったからです。

11 まことにイスラエルの人々は皆あなたの律法を犯し、離れ去って、あなたのみ声に聞き従わなかったので、神のしもべモーセの律法にしるされたのろいと誓いが、われわれの上に注ぎかかりました。これはわれわれが神にむかって罪を犯したからです。

12 すなわち神は大いなる災をわれわれの上にくだして、さきにわれわれと、われわれを治めたつかさたちにむかって告げられた言葉を実行されたのです。あのエルサレムに臨んだような事は、全天下にいまだかつてなかった事です。

13 モーセの律法にしるされたように、この災はすべてわれわれに臨みましたが、なおわれわれの神、主の恵みを請い求めることをせず、その不義を離れて、あなたの真理を悟ることをもしませんでした。

14 それゆえ、主はこれを心に留めて、災をわれわれに下されたのです。われわれの神、主は、何事をされるにも、正しくあらせられます。ところが、われわれはそのみ声に聞き従わなかったのです。

15 われわれの神、主よ、あなたは強きみ手をもって、あなたの民をエジプトの地から導き出して、今日のように、み名をあげられました。われわれは罪を犯し、よこしまなふるまいをしました。

16 主よ、どうぞあなたが、これまで正しいみわざをなされたように、あなたの町エルサレムあなたの聖なる山から、あなたの怒りと憤りとを取り去ってください。これはわれわれの罪と、われわれの先祖の不義のために、エルサレムと、あなたの民が、われわれの周囲の者の物笑いとなったからです。

17 それゆえ、われわれの神よ、しもべの祈と願いを聞いてください。主よ、あなたご自身のために、あの荒れたあなたの聖所に、あなたのみ顔を輝かせてください。

18 わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。

19 主よ、聞いてください。主よ、ゆるしてください。主よ、み心に留めて、おこなってください。わが神よ、あなたご自身のために、これを延ばさないでください。あなたの町と、あなたの民は、み名をもってとなえられているからです」。

20 わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、

21 すなわちわたしが祈の言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、

22 わたしに告げて言った、「ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。

23 あなたが祈を始めたとき、み言葉が出たので、それをあなたに告げるためにきたのです。あなたは大いに愛せられている者です。ゆえに、このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい。

24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。

25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。

26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。

27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。 

 ダニエルが預言者エレミヤの預言を悟り、主なる神の前で祈った時、「われわれ」という表現を使ったが、それはその祈りを読めば明らかな通り、「ユダの人々、エルサレムの住民および全イスラエルの者」のことを意味していた。

 これは非常に重要な点である。つまりダニエルが「わが民」とか「あなたの民」と言い表している時、それは「イスラエルの民」を示しているのであり、同時に御使いガブリエルがダニエルに対して「あなたの民」(24節)と答えた時、それはやはり「イスラエルの民」のことを示しているのである。

 同様に12:1の中にある「あなたの民」も、語りかけている人物が御使いガブリエルではなく「人の子のような者」(10:16)であるが、語りかけている相手が同じダニエルである以上、やはり「イスラエルの民」を示していると解釈すべきであろう。

ダニエル12:1

その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。 

 つまり「その時に至るまで、かってなかったほどの悩みの時」に「あなたの民は救われます」と御子が宣言する時、それは新約聖書が言うところの「大患難の時」に、イスラエルの民が御子をメシアであると信じて救われることを預言している言葉であることがわかる。

ローマ11:25-27

25 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

26 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

27 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。

黙示録7:3-8

3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。

4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。

5 ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、

6 アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、

7 シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、

8 ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。

黙示録14:1-5

1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。

2 またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。

3 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。

4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。

5 彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。 

 勿論、「その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます」や「イスラエル人は、すべて救われるであろう」という言葉は、民族的イスラエル人が全て自動的に救われることを意味してはおらず、やはり御子イエスが自分の救い主であることを告白する者だけが救いを受けることには変わりはない。

 以下の聖句の「残された者」とは、そのような前提を基に解釈すべきである。

ローマ9:27-29

27 また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、「たとい、イスラエルの子らの数は、浜の砂のようであっても、救われるのは、残された者だけであろう。

28 主は、御言をきびしくまたすみやかに、地上になしとげられるであろう」。

29 さらに、イザヤは預言した、「もし、万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったなら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラと同じようになったであろう」。

調査のプロセス

申命記13:12-18

12 もし、あなたの神、主があなたに与えて住まわせる町の一つで、

13 よこしまな者たちが、あなたがたのうちから出て、「さあ、あなたがたの知らなかったほかの神々に仕えよう。」と言って、町の住民を迷わせたと聞いたなら、

14 あなたは、調べ、探り、よく問いたださなければならない。もし、そのような忌みきらうべきことがあなたがたのうちで行なわれたことが、事実で確かなら、

15 あなたは必ず、その町の住民を剣の刃で打たなければならない。その町とそこにいるすべての者、その家畜も、剣の刃で聖絶しなさい。

16 そのすべての略奪物を広場の中央に集め、その町と略奪物のすべてを、あなたの神、主への焼き尽くすいけにえとして、火で焼かなければならない。その町は永久に廃墟となり、再建されることはない。

17 この聖絶のものは何一つ自分のものにしてはならない。主が燃える怒りをおさめ、あなたにあわれみを施し、あなたをいつくしみ、あなたの先祖たちに誓ったとおり、あなたをふやすためである。

18 あなたは、必ずあなたの神、主の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるすべての主の命令を守り、あなたの神、主が正しいと見られることを行なわなければならない。

申命記17:2-7

2 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる町囲みのどれでも、その中で、男であれ、女であれ、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、主の契約を破り、

3 行ってほかの神々に仕え、また、日や月や天の万象など、私が命じもしなかったものを拝む者があり、

4 それがあなたに告げられて、あなたが聞いたなら、あなたはよく調査しなさい。もし、そのことが事実で、確かであり、この忌みきらうべきことがイスラエルのうちに行なわれたのなら、

5 あなたは、この悪事を行なった男または女を町の広場に連れ出し、男でも女でも、彼らを石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。

6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。

7 死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

申命記19:15-21

15 どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。

16 もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、

17 相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。

18 さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、

19 あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

20 ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行なわないであろう。

21 あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。 

 当然、御子による恵みの福音を信じる者は、これらの律法の中に命じられている「聖絶」や「石打の刑」などが御子の十字架の死のうちに成就したことを知っているので、その裁きを字義的に適用すべきであるとは解釈しない。だから、これらの聖句において重要な適用は、何かしらの悪や罪などを耳にしたとき、それが事実であることを確証するプロセスである。

あなたは、調べ、探り、よく問いたださなければならない。

あなたはよく調査しなさい。

さばきつかさたちはよく調べたうえで

 つまり「噂話」や「多数の意見」を聞いた段階で判断を下してはならず、実際に自分で事実を確認しなければならないことを意味する。

出エジプト23:1-3;6-8

1 あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。

2 あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。

3 また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。

6 あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。

7 あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。

8 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。

申命記16:19

あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。 

 よく考えると、ここには驚くべき前提が示されている。つまり主なる神は全て隠れたことを知っておられる方で、完全な公正さによって裁くことができ、私たち人間の部分的な知識による判断などを介する必要など全くない方であるにもかかわらず、その主なる神が、感情的であり、偏見に満ち、早とちりしがちな人間に対して、判断を委ねているのである。

 だからこそ「まずよく調べる」というプロセスが、判断そのものよりもより重要な意味をもつのである。なぜなら主なる神が聖霊を通して啓示することなど容易いはずだからである。

 私たち人間は、人の噂ですぐに断罪し、部分的でしかない経験や知識によって判断し、多数の意見と対立し孤立するのを恐れ、沈黙したり妥協したりする。貧しい者や低い者をその貧しさゆえに虐げると同時に、その同じ貧しさゆえに感情的に擁護したりもする。「他人の評価」という「賄賂」を掴まされ、迎合し、裁きを曲げたりもする。

 主なる神によって人間に課された「調査のプロセス」は、調査の対象だけの問題ではなく、調査をする者の心に中において「神への畏れ」を確認する目的としても与えられているのではないだろうか。

歴代誌下19:6-7

6 さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行なわれるとき、あなたがたとともにおられるのです。

7 今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」

「今、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」

ハガイ1:1-11

1 ダリヨス王の二年六月、その月の一日に、主の言葉が預言者ハガイによって、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベル、およびヨザダクの子、大祭司ヨシュアに臨んだ、

2  「万軍の主はこう言われる、この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている」。

3 そこで、主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、

4 「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。

5 それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。

6 あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。

7 万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。

8 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。

9 あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。

10 それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。

11 また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。 

 七十年に及ぶバビロニア捕囚から約束の地に帰還したイスラエルの民は、荒れ果てた祖国の再建に失意して無気力な日々を過ごしていたわけではなかった。自ら木を伐り出し、家を建て、畑を耕し、多くの種を撒き、多くを望んで忙しく働いていたのである。だがそれは主なる神の目に最も優先的な事を先送りにし、「主の家を再び建てる時は、まだこない」と言って、自分たちの生活を復興する時に囚われていたのである。

 主なる神は二度も「あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」と繰り返している。「あなたがたは主なる私が成し遂げることを待ちなさい」とは命じていない。なぜなら主なる神が山に登り、木を伐り出し、神殿を再建しなければいけなかったのではなく、それは民が為すべきことだったからである。

 勿論、主が望むなら荒れ果てた神殿においても神の栄光を現すこともできたはずである。なぜなら「いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない」からである。しかし主は民がおのおの自分の家のためだけでなく、まず何より神の栄光のために協力して働くことを求めておられたのである。

万軍の主はこう言われる、

この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている。

、万軍の主はこう言われる、

あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。

 実際、永遠の神とは異なり未来を知らない私たちは、ほとんど「神の時」を知らない。過去に戻って犯してしまった過ちを修正することもできない。与えられているのは「今」である。

マタイ5:21-24

21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、

24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。

ヤコブ4:13-17

13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。

14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

15 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。

16 ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。

17 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。 

 次の瞬間に全く不測の事態によって地上の命が終わりを遂げる可能性の中に生きる私たちが、「今」為すべき善とは何だろうか。そもそも私たちが考える「善」は、本当に主なる神が私たちに為すべきと命じている善であるのか、私たちはわかっているのだろうか。

エペソ5:15-17

15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、

16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。

17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

Ⅰペテロ4:17-19

17  さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

Ⅱコリント6:1-2

1 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

2 神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

詩篇90:12

われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

神の子羊こそ、わが魂の慕うすべて

黙示録7:9-17

9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、

10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。

11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、

12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。

13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。

14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。

15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。

16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。

17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

 人に疲れ、自分にうんざりし、やるせない孤独の中で飢え渇いた魂を、神の子羊は決して見捨てない。自分だけがその魂をいのちの水の泉に導けることを知っているから。

 神の子羊こそ、わが魂の慕うすべて。


Lamb of God Acappella

覆われたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

マタイ10:16-33

16 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

17 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。

18 またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

19 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。

20 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。

21 兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。

22 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

23 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。

24 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。

25 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

26 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

32 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

ルカ12:1-12

1 その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。

2 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。

4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。

5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

6 五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。

7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

8 そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。

9 しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。

10 また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。

11 あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。

12 言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。 

 「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」

 このよく引用される聖句は、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』の中にあるが、それぞれが置かれている文脈をよく読んでみると、実は聖句が示す内容が異なることがわかる。

 マタイにおいては「福音宣教における迫害」という文脈の中に置かれ、ルカにおいては「パリサイびとの偽善に対する警告」という文脈の中で語られている。

 マタイのメッセージは、「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。」とあり、「御子イエスが弟子たちに内密かつ個人的に語ることを、その啓示が引き起こす憎悪や迫害を恐れることなく、公に、そして大胆に語れ」と命じている。

 ルカのメッセージは、「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」とあり、語るのは御子イエスではなく、「私たち人間が人の目に隠れた所で内密に語りあうこと、特に裏表のある考えや偽善的策略は、必ず公になり、人々に間で語り伝えられるのだから、注意しなさい」と警告しているのである。

 この二つのメッセージは、互いに補完関係にあり、ただひたすら御子の計り知れない恵みによって罪の支配から贖われ、キリストの証人としてこの世に遣わされている「憐みの土の器」として、両方の教えを心に刻み付けておく必要がある。

 つまり片や、人々の誤解や無理解、反対、憎悪、迫害を恐れ、自分の弱さに縛られ、祈りや賜物を通して御子が聖霊によって語ったり、行うように命じていることに躊躇する危険と、もう一方では、与えられた神の祝福のゆえに高慢になり、言っていることと行っていることが違う偽善や、表で言っていることと裏で考えたり、口にしていることが違う偽善に陥る危険の、二つの要素である。

 なぜ私たちはこの二つの危険性に注意しなければならないのだろうか。それは真に畏れるべき方、唯一の神であり、生ける者と死せる者を正義と公平をもって裁く方が存在するからである。

また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

 公に語れと命じられたことを恐れて語らない私たちの臆病さを見ている神は、同時に、語る前に為すべきことを為さない私たちの偽善も見ている方である。

 主よ、私たちを御子の尊き血潮によって清め、貴方の限りない愛と恵みと憐みを大胆に語る者としてください。

天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。

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創世記13:14-17

14 ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。

15 すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。

16 わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。

17 あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます」。

創世記15:1-5

1 これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」。

2 アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。

3 アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。

4 この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。

5 そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。 

 ロトが低地の町々を選び、ソドムに住むために離れて行った時、主なる神はアブラハムに「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい」と命じ、そして彼に「わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう」と約束を与えた。

 しかしアブラハムがカナンの地に住んで約十年の月日が流れた頃、主なる神はアブラハムを夜、天幕の外へ導き出し、満天の空を見上げさせ、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」と命じた。そして彼に「あなたの子孫はあのようになるでしょう」という約束を与えたのである。

 「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」 アブラハムはたとえ十代の視力を持っていたとしても、それは不可能だった。「地の塵」も同じように数えることはできないものだが、手に取ればその一部でも実感することができた。

 しかし満天の星には、いくら手を伸ばしても届かず、指を指して追いかけようとしても、それらの星々は天空を緩やかに動き続け、誰もそれを引き留めることはできない。

 満天の星の下に立つアブラハムには、主の約束を信じる以外、何もできなかったのである。

 「In Christ

 御子キリストのうちに導かれ、その恵みの中で生きる信仰者は、アブラハムと同じである。

コロサイ2:9-10a

9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、

10a そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。

 御子キリストのうちに神の徳が満ち満ちていて、あなた方はそれに満たされている、と約束されていても、私たちはしばし、満天の星の下で手を伸ばし、立ち尽くすアブラハムのように感じてしまう。その星々は私たちの指の先からはるかに高いところでキラキラと輝いているが、私たちの手の中には光り輝くものなど何一つない。特別美しく輝く星を見つけて好みの名前を付けても、ちょっと視線を逸らしただけで、次の瞬間にはその星がどれだったかわからなくなってしまう。

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」 

 主なる神はアブラハムに「天を仰いで、星を数えなさい」とは命じなかった。

 私たちもアブラハムと同じようにただ信じよう。私たちはキリストのうちに満ち満ちた神の徳のなかに生き、それが私たちのうちに満ち満ちていることを。

 


In Christ Alone