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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

第二の封印:赤い馬、そして大きな剣

黙示録6:3-4

3 小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。

4 すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。 

  第一の封印が解かれることによって顕れた白い馬に乗る者、反キリストの度重なる勝利はしかし、真の平和や調和をもたらすことはなく、むしろ人々が互いに憎しみ合い、殺し合い、地上にかろうじて保たれていた平和さえも奪い取られることになる。

 しかし七つの封印はまだ全て解かれておらず、巻物はまだ開かれていないことを考えると、この段階は迫りくる主の日の患難の恐ろしさに比べれば、「プレリュード」、御子の言葉で表現すれば「産みの苦しみの初め」でしかないのである。

マタイ24:4-10

4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。

5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。

6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。

7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 

 なぜなら主の日に下される裁きによる大患難は、「世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような」ものだからである。

マタイ24:21

その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。

 預言者ナホムが叫んでいた通りである。そしてその叫びは、第六の封印の開封によって地上に残された人々の叫びとなるだろう。

ナホム1:6-10

6 だれが彼の憤りの前に立つことができよう。だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう。その憤りは火のように注がれ、岩も彼によって裂かれる。

7 主は恵み深く、なやみの日の要害である。彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。

8 しかし、彼はみなぎる洪水であだを全く滅ぼし、おのが敵を暗やみに追いやられる。

9 あなたがたは主に対して何を計るか。彼はその敵に二度としかえしをする必要がないように敵を全く滅ぼされる。

10 彼らは結びからまったいばらのように、かわいた刈り株のように、焼き尽される。 

黙示録6:15-17

15 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。

16 そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。

17 御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

 預言者エゼキエルの言葉を読むとき、私たちは「今、恵みの時に救いを受けよ」と叫びなければいけないことを痛感する。

エゼキエル21:8-13

8 主の言葉がわたしに臨んだ、

9 「人の子よ、預言して言え、主はこう言われる、つるぎがある、とぎ、かつ、みがいたつるぎがある。

10 殺すためにといであり、いなずまのようにきらめくためにみがいてある。わたしたちは喜ぶことができるか。わが子よ、あなたはつえと、すべて木で作ったものとを軽んじた。

11 このつるぎは手にとるために、とがれ、殺す者の手に渡すために、とがれみがかれるのである。

12 人の子よ、叫び嘆け、このことはわが民に臨み、イスラエルのすべての君たちに臨むからである。彼らはわが民と共につるぎにわたされる。それゆえ、あなたのももを打て。

13 これはためしにすることではない。もしあなたが、つえをあざけったら、どういうことになろうか」と主なる神は言われる。 

Ⅱコリント6:2

神はこう言われる、

「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。

見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

 

七つの封印で封じられた巻物(2)巻物を受け取る子羊

黙示録5:1-10

1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。

2 また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。

3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。

4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。

5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。

6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。

7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。

8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。

9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、

10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 

 時に言葉そのものや詳細に囚われ過ぎ、啓示の鳥瞰的なスケール感を失いがちである。使徒ヨハネが流刑の島パトモスで書き記した言葉は、専門書に囲まれた神学者が試行錯誤しながら書き上げたものではなく、神自身が「天の門を開いて」、栄光の幻を見ることを許し、それを書き記すことを命じられたからであった。

 逆に言えば、もし神が啓示することを望まなかったら、決して知ることができない、人間の言葉では表現することさえできないような種類の、天的かつ霊的な幻、また未来に関する啓示であった。

黙示録4:1-2

1 その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。

2 すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。 

 誰も見ることができない父なる神が天の御座に座り、右手にもった、他の誰にも開封されることが許されていない七つの封印で封じられた巻物を、四つの生き物と二十四人の長老の前で、屠られたと見える子羊の姿の御子イエスに手渡しているのである。そして手渡され瞬間、神の御座の前で、御子への賛美が湧き上がるのである。私たちがどんなにイマジネーションを働かせようが、その栄光のほんのわずかしか思い描けないだろう。

 この封じられた巻物は、預言者ダニエルに部分的に啓示された「終りの時まで秘し、かつ封じられておかれなければいけなかった言葉」と関連させることができるだろう。

ダニエル12:1-10

1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。

2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。

3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。

4 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。

5 そこで、われダニエルが見ていると、ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。

6 わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人にむかって言った、「この異常なできごとは、いつになって終るでしょうか」と。

7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。

8 わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。

9 彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。

10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

 御子イエスは地上宣教の終わりに主の日、特に地上来臨に関して「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と語っていた。

マタイ24:29-36

29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。

30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

31 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。

33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

34 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。

35 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 

 その御子が十字架の死と復活、そして昇天を通して勝利し、天上において、主の日に関する計画が記されている、封じられていた巻物を父なる神の右手から受け取り、それを開封しているのは、とても意味深い幻ではないだろうか。

詩篇2:6-9

6 「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」と。

7 わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。

8 わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。

9 おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。 

マタイ11:27a

すべての事は父からわたしに任せられています。

マタイ28:18

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。 

エペソ1:20-21

20 神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、

21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。 

ピリピ2:9-11

9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。

10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、

11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。 

Ⅱテモテ4:1

神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。 

 

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第一の封印:定められた時になって現れる反キリスト?

黙示録6:1-2

1 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。

2 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。 

 この第一の封印が解かれることによって出現する白い馬に乗った者は、使徒パウロがテサロニケ教会へ宛てて書いた手紙の中で言及されている、「定められた時になって現れる不法の者、滅びの子、反キリスト」のことを示していると言われている。

Ⅱテサロニケ2:1-12

1 さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。

2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。

3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

5 わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。

6 そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。

7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。

8 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。

9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、

10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

11 そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。 

 その出現が「彼に定められた時」「いま阻止している者が取り除かれる時」であること、そして何より神の子羊なる御子イエス自身が唯一封印を解く権威をもち、それを解くことを知るのは大変重要である。なぜなら、人類史上最も邪悪で力をもつ者の出現も、神の統治と計画の中の現象であることを意味しているからだ。

 反キリストは「白い馬に乗り、勝利を得る者」としてこの世に現れるが、それは真のキリスト、御子イエスの「質の悪いフェイク」に過ぎない。実際、黙示録には御子が真の「王の王、主の主」として白い馬に乗っている幻が啓示されている。

黙示録19:11-16

11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。

12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。

13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。

14 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。

15 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。

16 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。

 何という力強さだろうか。反キリストは開封と共にどこからともなく現れるが、御子は開かれた天から現れる。反キリストの頭には一つの冠が与えられるが、御子の頭には多くの冠がある。反キリストは弓を手に持つが(矢のない弓は何を意味するのだろう)、御子の武器は口から出る鋭い剣、つまり神の言葉である。反キリストは「勝利の上にもなお勝利を得よう」と地に現れるが、御子は諸国民を正義によって裁き、治める方である。

 私たちは、主なる神が愛する御子の「俗悪なまがい物」に出現を許し、人々の上に権威を振るい、自身を神として拝ますことまで許すことに、御子の愛による救いの恵みを頑なに拒んだ人々に対する神の峻厳な怒りを見出すべきである。

Ⅱテサロニケ2:9-12

9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、

10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

11 そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

 真の救い主に出会えるうちに、悔い改めよう。封印が解かれる前に。

イザヤ55:6-7

6 あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。

7 悪しき者はその道を捨て、正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。 

 

追記(2017年12月18日)

「二人の証人の活動期間」と「獣の活動期間」 - an east window

より詳細を調べると、白い馬に乗った者の出現と、第二テサロニケ2章を結びつけるのは、正確ではないことが判明した。第二テサロニケの内容から考えると、黙示録11:7「そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す」の方がより的確だろう。

 それではこの白い馬に乗った者とは、一体誰もしくは何を指しているのだろう。終わりの時のリバイバル、福音の勝利を意味しているのだろうか。それとも、今も働いている反キリストの不法の秘密の力が、艱難期前半において偽りの平和と世界統一のために働くことを暗示しているのだろうか。

 断定する確信が少なくなったので、タイトルに?マークを追加した。引き続き調べていきたい。

 

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シリア国内に「安全地帯」設置の提案

www.newsweekjapan.jp

 トランプ米大統領が近日中に、避難民のための「安全地帯」をシリアに設ける計画を策定するよう国防総省と国務省に命じる見通しが明らかになった。ロイターが25日、大統領令の草案を入手した。

 トランプ氏の署名を待つ草案には、「故郷を逃れたシリア国民に安全地帯を提供する計画を90日以内に立案するよう国務長官と国防長官に命じる」などと書かれていた。

 安全地帯の設置は、米軍のシリアへの関与を徐々に高め、オバマ前大統領の慎重なアプローチからの脱却を意味する。「飛行禁止」区域が設定された場合、米軍や同盟国の空軍力増強が求められ、避難民を守るために地上部隊投入も必要になる可能性がある。

 草案では、安全地帯をどこに設置するのかや、誰が避難民を守るのかといった詳細は明らかにされていない。ヨルダンやトルコなどの近隣諸国は、すでに数百万人のシリア避難民を受け入れている。


[ワシントン 25日 ロイター]

  実に不思議な草案ではないだろうか。アメリカ合衆国大統領は、シリア・アラブ共和国大統領に「貴方の国の領土に安全地帯を設置したいのですが、どう思いますか」と予め掛け合ったのだろうか。なぜシリアに対して厳しい経済制裁をしながら、そのシリア国内に「安全地帯」を設置しようなどと考えられるのだろうか。

 シリア大統領は自国でアメリカ空軍による誤爆があまりにも多く、一般市民が犠牲になっているからと、アメリカ空軍にシリア軍のパイロットやドローン操縦士を送り込む提案を、アメリカ大統領に相談なしに提案しようなどと考えるだろうか。

 隣の家の庭の池から蚊が発生するからと言ってその池を埋め、落ち葉が自分の庭まで舞い落ちてくるからといってその木を切る、などと隣の家と相談なしに勝手に決めることができるだろうか。池を埋め、木を切ってできた土地に駐車場を作りましょう、などと提案するだろうか。

 御子イエスは、預言者を殺しながらその墓を建て、飾り立てていた者たちの偽善を厳しく糾弾した。

マタイ23:49-31

29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、

30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。

31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。 

ルカ11:47-51

47 あなたがたは、わざわいである。預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなたがたの先祖であったのだ。

48 だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから。

49 それゆえに、『神の知恵』も言っている、『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』。

50 それで、アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。

51 そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。

 

追記(2017/02/01):

blogos.com

 以下の記事によれば、リビアにおいてこのような「避難民のための安全地帯」がカダフィ政権の転覆のために反対派によって利用されたことが書かれている。

www.middleeastmonitor.com

 トランプ大統領の親イスラエルの態度と兼ね合わせて考えると、オバマ政権が拒否していたこの計画をなぜ通そうとしているのか、その理由が見えてこないだろうか。

時が良くても悪くても、御言を宣べ伝えなさい。

Ⅱテモテ4:1-5

1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。

2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。

3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、

4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。 

 ある人々にとっては、それぞれの個性によって、知的好奇心を満たしてくれたり、なんだか心地良くなる話をしてくれる色々なタイプの説教者や教師が無数にいて、クリック一つで自分の思うままに選べ、嫌ならもう一回クリックするだけでいいインターネットの時代は、良い時代だと思っているかもしれない。

 他の人々は、日々聖書と向き合い、御言葉だけが唯一信頼できる礎であり、すべてを判断する絶対的基準であると信じ、実践していくには、とても厳しい時代であると思うい、一人失意しているかもしれない。

 しかし私たちが「今の時」をどう評価しようとも、使徒パウロがテモテに書き送った命令は私たちにも有効で、それは「御言葉を宣べ伝えなさい」であり、「キリストの証人」として任命された私たちの務めはそれを全うすることである。

 なぜなら私たちがどのような状況にいようが、私たちの「前」には父なる神そして生きている者と死んだ者とをさばくべき御子イエスがおられ、かの日にはその永遠に変わらない方の御前で、私たち一人一人が申し開きしなければならないからである。

 メッセンジャーは託されたメッセージを勝手に変えることはできない。管理者は委ねられた財産を勝手に他のものと交換することは許されていない。

ガラテヤ1:8-12

8 しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。

9 わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。

10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

11 兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。

12 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。 

宣教の愚かさ

Ⅰコリント1:17-25

17 いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。

18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。

19 すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。

20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。

21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。

23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

24 救にあずかる自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。

25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。 

Ⅰコリント2:1-2

1 兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。

2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。 

 使徒パウロは「ギリシヤ人は知恵を求める」という傾向を十分承知しながらも、ギリシャのコリントの人々に福音を伝えるにあたって、「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える」「わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまい」と、決心していた。「十字架につけられたキリスト」が異邦人であるコリントの人々には「愚かなもの」であるとよく知っていたのに、である。

 使徒パウロはコリントの町の人々のうち、誰が「滅び行く者」で、誰が「救にあずかる者」か全知の神のように知っていたということだろうか。そうではなく、使徒パウロが宣べ伝える十字架の言自体が、それを聞くコリントの人々を「滅び行く者」と「救にあずかる者」に分けていたのである。

 当時のアテネの広場に集まっていた市民のように「何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしている」人々の興味を引き、彼らの好奇心を満足させるようなメッセージを伝えるべきか。

 それとも使徒パウロのように、ただひたすら愚直に「十字架の言」「神の力、神の知恵たるキリスト」を宣べ伝えるべきか。たとい人々に愚弄され、嘲笑され、そして無視されたとしても。

キリストの体(5)自己防衛本能

 去年の十月、自宅の窓の修理をしている時、バランスを崩して梯子から落ちてしまった。幸い左手小指の骨折程度で済んだからよかったが、もし手で衝撃を緩和していなかったら頭を直接ぶつけていたかもしれないので、それを考えれば感謝であった。

 私自身、梯子から落ちてながらこれから何が起きるのかを判断し、柔道家がするように手を出したわけではなく、ただ「条件反射」によって体が自らを守るために勝手に動いたのである。

 勿論、訓練すればより鋭敏で的確な反応ができるのだろうけれど、そのような訓練とは縁のない生活していている私の体が咄嗟にそのような反応したのは、人体に自己防衛の本能がもともと備えられているからである。

 サッカーボールが不意にあなたの顔に向かって飛んで来たら、あなたが咄嗟に手でその衝撃から身を守るだろう(それがサッカー選手なら自然にヘディングするのだろうか)。小さな虫が飛んできて目に入りそうになったら瞼は勝手に閉じるし、気管に異物が入ったら咳をし、鼻に入ったらクシャミをする。すべてが自己防衛の本能による条件反射である。

 肉眼においては見えない現象においてもそれは同様で、外来性ウィルスが体内に侵入すると免疫応答がおきるのも、本人が意識しているいない関係なく、人間の体にそのような自己防衛本能が与えられているからである。

 この機能は「キリストの体」つまり全ての信徒たちの霊的共同体においても同じものが与えられている。その霊的機能は、特殊な状況における聖霊の導きによる「識別力」や「知恵」に基づく言葉や行動となって顕れる。

 新約聖書の中で非常に興味深い一例がある。 

ユダ3-4(新改訳)

3 愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。

4 というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。

 3節を岩波翻訳委員会訳は以下のように訳している。

愛する者たちよ、私たちの共通の救いについて私はあなたがたに書こうと本気で考えていたが、〔今や〕ひとたび聖なる者たちに伝えられた信仰のために戦うよう、励ますため、私にはあなたがたに書く必然性が生じた。 

  ユダ(十二使徒のひとりとして選ばれていたのに主イエスを裏切ったイスカリオテのユダではなく、主イエスの実弟の一人のユダである。1節参照)は、恵みによって受けた魂の救いに関して全般的な手紙を書こうとしていたが、聖徒たちの交わりの中に「不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定している」ことを聞き、手紙の内容を急遽変更するように聖霊によって導かれたことを示している。

 特に「救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが」という箇所は、ユダが救いに関する手紙を書こうとしながら、不思議と心の中に激しい葛藤が生れ、何度もそのことに関して主から来る思いなのか自問したり、祈りの中で導きを求めたりしたことが暗示されていて、それは信仰者ならば実にリアルに伝わってくるものではないだろうか。

 信仰者のうちにおられる聖霊は、「キリストの体」の肢体を神の知恵によって導き、お互いがいたわり合い、悪の攻撃から身を守るように働いてくださるのである。

Ⅰコリント12:25-27

25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。